(マロニエ)
自立した女が好きと言ってるけれど、女に限らず、自立した人間が好き。
というのは結果であって、その根っこは、
管理されるのも、管理するのも嫌い、という私の気質から来ていると思う。
リーダー気質に欠けているのも自覚。出来れば仕切る事なんてしたくない、いや、仕切られるのはもっと嫌。(笑)
ああ、自分にとってどうでもいい事は仕切られるな。流れに任せるのは、すごく楽。これはずるいと云うのかな、それとも世渡りというのかな。(笑)
そのくせ、もちろん、必要とされるのは嫌ではないし、絶対的孤独に耐えられるわけでもないという、我がままな性格なのは自覚している。
ペットを飼ってるけど、彼を見ていると自分のよう。アイツはいじくり回され、管理されるのが嫌なくせに、必ず私が見える範囲についてくる。留守番は大嫌い。飼い主に似るというのは本当みたいだ。(苦笑)
もちろん、安易に他人に依存するのも、それを見せてしまうのも、みっともないと思ってるし、美意識に反すると思ってるから、少々頑張る。自分のケツは自分で拭きたい。
まあ総じてコドモのようなオトナのようなもんだなあと思うが、そういう自分はそんなに嫌いではない。
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自己を肯定する事や、そういう自分を尊する事、こういう人間と付き合うのは気持ちいい。特にSMだからといって変るわけではない。プラタナスとはそんな気持ちで付き合ってきた。比較的最初の頃から今まで。
欲望を満たす事が幸福の一つと数えられるなら、自分を満たす為に、幸せになる為にSMをしてきた。もちろん義務感でもなく、何かの穴埋めの為にしてきたという自覚も無い。
自覚が無いというだけで、第三者から見たら穴埋め的な行動なのかもしれないが、そう言われてもどうしようもない。自覚が無いし、これで私は良いと思っているし、今はどちらかといえば幸せなのだから。
本人がこうなのだから、相方にも同じように求めるのが自然というもの。
不幸なのに、何かに突き動かされてしてるなら、そんなものは止めちまえ。自分を満たす為、幸せになる為にしているんだろう?と。
ある意味では極楽お気楽な感覚かもしれない。楽天主義かも。
が、そこはもう少し汲み取って欲しい。
自分を満たす為には、耐えたり我慢したり、自分のとんでもない姿に驚愕しつつ、それを肯定したり、相手を慮ったり、という、お気楽とは逆の感情だって十分消化している。でも、その消化行為そのものを愉しんでる自分さえいる、というわけだ。
それは、プラタナスにだって見て取れる。
酷い姿に羞恥し、逆上し、自己否定から自己肯定に持っていくまで苦しんでいても、実はそれは明るかったり、前向きだったりする。だから私はプラタナスに信頼を寄せていたし、そういうプラタナスは好ましいと思っていた。
しかし、2+1を実際行った時期の後、ちょっとした意図せぬ出来事(2+1とは関係ない。)が起こったりして、いつものプラタナスとは違う様子を垣間見せていた。
「
淫乱オンナが隣にいる」のエントリーの時期だ。
そのエントリーの中の、プラタナスのメールでは、
「プラタナス表人格の自立を保つ努力は、私がします。
あなたの仕事は、ひたすらプラタナスを堕とすことです。
余計な心配に、大事なあなたの情熱を割かないで、プラタナスに傾けてください。
それによって、いつか自分を保てなくなるのなら、自分の判断で決着をつけます。
壊れるのがイヤなら、なにがなんでもあなたを振り捨てます。
それができないのなら、壊れるしかないし。
それでも、それが本望です。」
と、豪語していけれども、その言葉とは裏腹に、ちょっと弱っていた萌芽がそこにはあったみたいだ。
酷い行為を行った後に、バランスを崩した。ずっと尾を引く激しい自己嫌悪。
でも、それは私に言わせれば、「なにかおかしい。」事だった。
酷い行為は私が強制的に一方的にしたものではない。
プラタナスも望み、欲情し、お気楽極楽ではなく苦しみも含めてという意味で、十分愉しんだ。最中は拒絶もしていない。
その上で、その後の、激しい、消えない自己嫌悪。
何がおかしいのかは、私の中で、なかなか言語化できなかった。
だから、プラタナスにもなかなか伝えられない。
そんな最中に、プラタナスが書いたのが、
一つ前のエントリー、「そんなに強くないのに」 である。
欲情するとか嫉妬するとかしないとかは、二の次のテーマだ。
(って、一文を加えないと、無視されたってクレームがつきそうだし。笑)
(これが終わったら、背負わずに欲情するな議論でしょうか? プラタナス・まこさん連合。なんか恐ろしい予感がするなあ・・・・笑)
さて、最大の、第一の問題は、ちっとも愉しげでない事。苦しみに埋没しそうな事。
自ら足を踏み入れて、愉しげでない。というのは、何かがおかしい。というわけである。
例えで云うなら、
酒を飲んでもちっとも美味しくないのに、飲まずには居られない。というのは、アル中の証だということらしい。
そんなSM中毒は・・・したくない。そういうSMなら、するな。と、私は思う。
プラタナスにはずっと、表の人格を潰さずに尊重していた。
自己を肯定することや、自尊心を保ち続ける事について、今まで否定的な言動をした事が無い。
そもそも、自己肯定や自尊心は、人格的には良いとされている事だし、それによって情緒も安定する。
でも、自己肯定といっても、肯定すべき自己は、私と出会って発見するプラタナス裏人格は、かなり酷い。
いや、私にとっては酷くないし、好ましいもの。
だけど、プラタナスの普段の生活を支えてる表人格(表裏一体なので表も裏も無いのだけれど、わかりやすくする為裏表と便宜的に言います。)からすると、とんでもないものだ。
いくら、私が、淫乱オンナのままでいろとか、そういうオマエでいい、と言っても、自己を肯定するのは大変な事だとは想像できる。
でも、いろいろと話してみれば、マゾで変態淫乱なプラタナスの部分も、プラタナスにとって大切で切り離す事が出来ないし、そういうマゾな自分も愛しいという気持ちもあるのもわかる。マゾで良かったと思う事もいっぱいあるらしい。
そんなような事を、プラタナスと話しているうちに、なんとなく気がついていた事を私は口にしてみた。
「いい子過ぎるんじゃないか?」
プラタナスの生い立ちをつらつら聞くと、いい子で居なくちゃいけない、と思う場面がずいぶんあったらしい。原因や状況はプライベートな事なので割愛するが、私が聞く範囲では、子供にしてはずいぶんと不自然というか、健気というか、とにかく、私とはずいぶん違う。すごい優等生だ。
だけど、そうした態度は一見すると、良い事なので、
周囲も本人もそれでよいと思いがちだし、そのまま見過ごしがちだ。
情緒不安定はすぐに周囲はわかるが、過度の、あるいは見せかけの作られた安定はマイナスだと気がつきにくい。
などと、互いに大人になって学んだ心理学のような事を、プラタナスを話していたら、プラタナス自ら、
「自尊心って必要だし、いい事だけれども、不健康な(過度な)自尊心もあるんだね。」
私が暴いた、引きずり出した、プラタナスのマゾな部分。
それを目にして、プラタナスは、ひどく満足した一方で、どうしてもそういう自分を許せなかったのかもしれない。だから自己嫌悪して、苦しげだった。満足していながら苦しげだった。
これが、私が強圧的に、命令や強制という名の元に、してしまえば、
「された」ということで、プラタナスの自尊心は過剰な反応を示さなかったかもしれない。
でも私のやり方は違った。自尊心を殺さず、その葛藤の様子をも私は楽しんだ。
最近の酷い行為は、葛藤できる範囲を超えたのかもしれない。
だから、プラタナスが持っていた、ある種の凹み。それに触ったのかもしれない。
その凹みを言語化するなら、「過度な」自尊心。
いや、言葉にすると千都さんの云うように、言葉だけが独り歩きしてしまう可能性もある。
「過度な」といっても、それは、私がマゾな部分を暴き満足させた時にはじめて現われる、とっても稀ななものだ。人格が歪んでいるとは思わない。
ただ、私の前では、被虐性変態性欲の淫乱オンナ、というだけだ。
私は、それでいい。それがいい。
まだ、特殊な状況に現われる凹みを言語化しただけ。その凹みを平らにしたわけではない。
でも、私は歩みを止めるつもりは無い。もちろん、苦しげなSMではなく、愉しげなSMを。