(マロニエ)
プラタナスが前のエントリーでちょっと愚痴った。(笑)
実は私の中では、新しい境地に入っていたのだ。
今までの苦痛を与える行為は、
一番酷い事をする時は、拘束を解く。という原則だった。
それは、いざとなったら逃げられるという安心感と同時に、
それでも逃げないという事実から、プラタナスの意志で酷い事を受けているという心情を、目に見える形として表したかったから。
でも
「痕・痣・内出血」のエントリーの時から、
一番酷いことをする時は、ギシギシに拘束する、に変わっていった。
そういう状態で、スイッチが入ると、プラタナスは
自分の身体を守る事が出来ないばかりか、自己破壊に走るといっていいほど
浮遊し、白光する。
私はこの瞬間に痺れた。(笑)
拘束を解いて、痛さにのた打ち回って、それでもこちらに自ら尻を差し出すという状況も面白い。
が、
身動きひとつできず、絶叫とうめき声のみで、挙句に、自分の状況を認識できずに、もっとしてのおねだり状態というのには、かなり痺れた。
一番酷い痛い事をする時は、ギシギシに半端ではなく拘束する。
というのが、便器舐めの次のテーマとなった。
でだ、その状態に持って行く方法も大事。
私のいつものやり方は、いきなりそれをしてスイッチが入るまでプラタナスを馴らす、矯めるというやり方だ。
助走なし、いきなりジャンプできるように仕込む。
reiさんコメントの
> 苦痛の時の拘束は、安定した安心感のある形じゃないと無理ですよね…。
緊縛で厳しい形にするなら、与える苦痛はアクセサリー的な余韻を残すような形になるだろうし、苦痛にポイントを置くなら拘束は安定した形に…。
>スイッチの入る場所って、先ずは委ねていいかなくらいの、最初の導入部分で縛りなど恐怖がないようにすることとか、苦痛などしてもいいかなー程度になるための導入部分とかが必要で、苦痛をしてもいいかなーってなってからでも、スイッチが入るまでのいくつかがあるような気がします。。。
という一文は、なるほど!とおもわず膝を打つほど、Mの側からの視線を見事に言い表していて、体験に裏打ちされた、厚みのある感想で、とっても参考になるものでした。(reiさん、これからも、よろしくお願いしますね。もっと読みたい。笑)
でも、敢えて、である。
助走はつけたくない。(一般的にいうところの)気持ちいい事なんかしたくない。
ああしてこうしての手順は確かにあるのだろうけれど、
こと、プラタナス(の今の状態)に関しては、いきなりにもって行きたいのだ。
考えてみれば、ビンタも、フィストも、浣腸も、スカトロも、苦痛も、最後は全部そうしてきた。
今では、助走なしでその行為に走っても、プラタナスは浮遊する。(正確に記せば、浮遊する確率が高い。さすがに状況によってはダメな時だってある。)
パブロフの犬ではないが、
プラタナスの心の肉体に、憶えさせた。繰り返し繰り返しそうすることによって。
いや、憶えさせたという表現も正確ではない、
私に憶えさせたいという意志があり、プラタナスには憶える資質があった。
だから今回の、
一番酷い痛い事をする時は、ギシギシに半端ではなく拘束する。
というテーマについても、いつかは助走なしで、いきなりそうしてもスイッチが入る、という境地に至らせようと思っている。
逆海老拘束で、柔らかい肌に1本鞭はさすがにハードだったのだろう。
二歩進んで三歩後退とプラタナスが言うのも判る。(笑)
便器舐めにかまけて、痛みを継続的に与える事をしてなかったからね。
身体がちょっと忘れていたのかもしれない。
もうすこし、(気持ちのいいことじゃなくて)痛みの助走は要るかも。
自分のやりたい事をやるという原則にのっとれば、
手間と時間のかかる事だけれども、いつもそうしてきた。
今回も、登攀ルート2を採用だ。(笑)
物理的な痛みの助走はなくとも、そこに至る以前の時間に、言葉や態度、視線等による心理的助走をつけることは可能と思われますが、いかがでしょうか?
釈迦に説法、ご容赦下さいませ。