(マロニエ)
プラタナス(M)のおねだりやされたい事を、Sとしてかなえる。
そのSの悦びは如何に?と云う事だが・・・・・・・
事後のプラタナスの、それはそれは爽やかな顔を見るのは凄く好きで、私自身が満たされる瞬間でもある。
人は、幸せそうな顔を見ると、自分も幸せに感じるものだ。
まして、その原因者が私自身であるとしたら、それがかなえる悦びと云うのだろう。
でも、それは可愛い子供達が望むものを満たしてやる満足感とは、またちょっと違う。
もちろん無償の愛などと云う訳も無い。
いや、メチャクチャ有償の愛だな。それがSの愛といえればの話だが。(笑)
おねだりされてする、数々の酷い行為は、甘い毒。(ペンチなどで行う痛い行為は甘いのか?という素朴な疑問は置いといて・笑)
糖〇病患者にケーキを、麻〇中毒患者にモ〇ヒネを与えている。
そういう自覚さえある。(笑)
まずは、すこし背景から話をしてみる。
そもそも何故、人を加虐したいのか。それはよくわからない。
幸いにしてというべきか、性的成長とともに、加虐心は性的欲望と結びついて、性癖に取り込まれた。
性的に結びつかなければ、加虐したいと云う心理はなかなか働かなくなった。
無くなったとは思えないが、性的な事以外では、社会的に適合できたし、加虐的な性格は少ないと思っている。(プラタナスはそんな事無いと反論する?でも、プラタナスは性的対象だから、私が意地悪なのは仕方が無い。笑)
性的シーンでは加虐欲と支配欲は強い。それは自他共に認める。(苦笑)
主従でリードすると云うのでもない。
導くと云うより、落とす、堕ちる、貶める、という言葉のほうがしっくりする。
瞬間的に沸騰する加虐心は、結構針の触れ方が激しいという自覚がある。
一方で、される側の対象は、被虐で性的興奮を覚える人間が必須だ。
被虐の性的興奮を覚えない人間に、私の加虐の心理は、これっぽっちも働かない。
私が犯罪者にならないで済む、ホッとした部分だ。
それはどうして?というのも、これも説明不能だけれども、一つだけ、思い当たる部分はある。
SとMは表裏一体といわれる、それ、である。
私はプラタナスが羨ましいと思っている部分がある。
堕ちて、浮遊して白光する。ああなれたら楽しそうだという部分が。
プラタナスを代理人として、疑似体験しているとも言える。(笑)(このくだり、ツッコミがとてもありそう)
だから、酷い事を割と平気で出来る、
つまり、自分がいい気持ちになれそうだからちっとも酷い事とは思っていないのだと、プラタナスには指摘されるのだが。(笑)
私が求めるMは、立場や関係において上下や支配をするのではなく、
そもそも性癖として、肉体をいたぶられ、肉体的快感を覚える事、ひいてはそれに伴う精神状況に快感を覚えるMである。
だから、そういうMにとっては、私の持つ鞭やペンチは、甘いものだ。
いや、徐々に慣らしていって、特別なスイーツと思うように変形させていったのだ。(笑)
私にしか持ち得ない特別なスイーツを持つ。
プラタナスはそれを切望する。
こういった関係が見えたときに、サディストで支配欲のある私が、そのスイーツを更なる目的に、使わないわけは無い。
そのスイーツに毒を仕掛ける。禁断症状が出るように、習慣性が出るように。(笑)
私の考える支配はそういうことだ。
本人にとっては甘い毒、端から見れば酷い事に溺れて、堕ちろ。壊れてしまえ。
そして私が居なければにっちもさっちもいかなくなれ。
プラタナスが、嫌だと思っている事でも、私が左といえば左を向かざるを得ない立場に堕ちろ。そういうことだ。
しかし、ここで凄く重要な事が一つ。
一見とてつもない切り札を持っていそうな私だが、私は切り札を、そういうふうに使った事はない。
これからも使うつもりは無い。
切り札は持っているからこそ切り札であって、使ったら切り札ではなくなると思ってる。
だから、これからも左向け!と問答無用でいう事は無いだろう。(笑)
そういう歴史と背景があるうえで、
プラタナスが切望して私を見上げる。
私は与える。甘い毒を。
激しい鞭を、ペンチを。苦痛を。
半ば壊れたプラタナスにとっては、それらはとっても甘いから、もっととせがむ。
泣いていようが、喚いていようが、目は望んでいる。恐怖と望みは読み取れるが、拒絶は無い。
よかろう、私も加虐したいのだ。ブレーキを踏む理由は無い。
与える、かなえるという上からの視線ではなく、
したいからしたい、ブレーキを踏む理由は無いだけだ。
もちろん、人の常として、憎からずと思ってる相手に、望まれれば嬉しくもあるし、かなえてあげようという気持ちにはなる。だが、そういった受動的な動機よりも、したいことが出来るという能動的な衝動のが大きい。
だから、プラタナスが予想している事より、一歩踏み出してしまうことが多い。
大きくいえば、それさえもプラタナスは望んでいるのだけれども、瞬間瞬間の目が物語る切望は、そんなに戦略的でもなく、まさに目の前のスイーツを望んでいるだけ、今のままでは物足りないと思っているだけ。
私だって、その目に触発されて、自分のブレーキを解放しているに過ぎない。
そうしてプラタナスが白光すれば、甘いスいーツが毒に変わる。
何度も何度も味わいたくなって囚われる。
事後の晴れやかなプラタナスの表情を見て、乞われてかなえる悦び、満足を感じるのは確かだけれども、そう単純ではない。
そこには、また、毒を与えたというサディスティックな悦びもまたあるのだ。(笑)
ぜひとも傍で見てみたいものです。
近々お会いするとき、そんな密談・・・・・してみませんか?