(マロニエ)
こうして、自分の変態性癖について書いているが、
それは自分自身の中に、その性癖を納まりよく位置づける為。
言い換えれば、自己弁護。
けして誉められた性癖ではない。社会的にはマイナス評価である。
オンナを加虐する事で、性的興奮をする。
その一点に、
つまり、「オンナを加虐する」というピンポイントだけで語るなら、
そのオンナが不幸になろうが、不具になろうが、知ったことではない。
ばかりか、そういう状態にこそ劣情を憶える事もある。
サディストという人種の根っこは、そういうことだ。
マゾヒストはその逆か。
人として扱われない事に、その状態に劣情を憶える。
しかし、どちらも人として存在はする。
あながちそれは、私達だけではあるまい。
世の中、人の不幸に関心が集まるのは、
誰も口に出さねども、
それと同じ類の心理が働いていると想像するに難くない。
誰だって社会的に負の感情や、それに対する衝動はある。
それを無くす事は出来ないが、
抑制する事やコントロールする事は、必要だと感じている。
それは誰の為でもなく、自身の幸福の為。
プラタナスと出会って、自身の性癖を満たした。同時に、性癖を更に掘り下げられたりもした。
プラタナスも同じだと思う。
自身の性癖を満たした事については、
非難されこそすれ、誉めるべきことでは決して無い。黙殺されるくらいが、最上級の暖かい対応だろう。
が、私達にとって、その性癖が、自身の存在意義に関わるものであるから、もがくわけである。
私には、(たぶんプラタナスも)、性癖を否定されるという事は、性を否定される事と同じだからだ。
しょせん、マジョリティーと相容れることの無い性癖。
世界の中心で(笑)大きな声で話すことではない。
ひっそりと一隅で静かに語る話だ。
なので、どうしても相容れない方は、無視して黙殺していただけると大変ありがたい。
ひっそりと静かに語る話だが、(同じ嗜好・性癖の)当事者にとっては、欠く事の出来ない事。
私とプラタナスにとって、欲望を満たす事は、自分の満足、自己充足、自己確認の作業。
そしてそれが、自分達の明日への活力と、はっきり意識し、相互認識できるようになったのは、いつ頃からだったか。
少なくとも、私は、
プラタナスとの関係をそういう風に認識し始めた時から、より、プラタナスに執着するようになったのは間違いない。
執着すれば、欲望も進む。
サディストの欲望とは、もちろん汚辱、加虐、破壊、支配、である。
そのためには、ありとあらゆる物理的手段と精神的操作をする。
だから、SM(主従やDSも含む。私のところは加虐・被虐嗜好だ。)界では、
ピアスや刺青、肉体拡張など、肉体として目に見える結果を求める事が、多く見受けらる。
また、共依存、欝など、更に特殊な精神的関係に見える事もよくある。
(いびつな人格の私が、言ってしまうおこがましさ。その点、ご容赦願いたし。自覚的にしている方には、特に。)
あるいは、
人に非ずの扱いをする。精神をズタボロにする。肉体を復元不能に変形する、手を加える。心身共に強烈な刺激を加える。
下世話な言い方だが、オンナの身体は履歴とよく聞く。通過した男の影が、オンナの身体に埋め込まれている。良し悪しを云っているのではなくて、SEXとは肉体の交わりだから、当然といえば当然だ。(だから男の身体にも、オンナの肉の記憶が残るのだが。)
だが、特にSMでは、マゾオンナの身体に、より強烈に記憶を埋め込むのは、サディストの常套手段だ。目に見える事はもちろん、反応や嗜好までも植えつけて、オンナの身体に憶えさせる。
肉体が直に憶えると忘れられない。それは一度泳げるようになれば、何十年と空いても泳げるのと同じだ。
オンナの身体に覚えさせる事。特にSMのような特殊な記憶を。自分仕様の記憶を。
それは目に見えない刺青を施しているようなもの。
それが出来たと認識する時は、とてもサディスティックな心が満たされる。
ずいぶん恐ろしい事だとも思う。
身体の交換が出来ないように、身体に刻まれた記憶も消せないのだ。
刻む側の私がどうこうの言える立場ではないが、刻まれる側はそれを認識する必要があると感じる。
そっと、そ知らぬ顔をしながら毒を食わせる快感というのも、サディストにはあるものだ。
さて、一方、マゾオンナ。プラタナス。
堕ちる事で心が満たされる。
プラタナスの場合は、汚される、貶められる、辱められる、人に非ずの扱いをされる。いや、人とは思えない姿に変形する(四肢切断etc)など・・・そういう欲望に惹かれていたわけだ。
加えて、私と付き合って、苦痛に(でしか)快楽を感じるように変形させられた。いうなれば、見えない刺青をその身体に描かれた。
目の前の、私が仕掛けた快感という毒を喰ううちに、後戻りできない身体になった。
最近は、本人も自覚するようになった。
それでも、毒を喰らう事を止められない身体に堕ちた。
一言で、堕ちる事が満足、と言うが、
考えてみれば、ずいぶん難しい性癖だ。(だからこそ、価値があり、大切にすべきと私は思うが。)
堕ちる事は、一般的には不幸である。マイナスである。そこに安住の地を見つけ、満足するとは一体どういうことか?
満足するとは、幸せな状態であってしかるべきだ。
矛盾だらけである。いっくら言葉ですくい取ろうとしても、ボロボロこぼれ落ちてしまうような、複雑怪奇な嗜好。
全てをすくい取れないからと、安易に、
堕ちて不幸な状態が満足なのだから、不幸で居ろ!
と、切り捨ててしまっていいものか。
それぞれの立場に立って、もう一度、一番最初の所に帰れば、
堕ちる事で満足する事は、自己充足、自己確認の作業。
そしてそれが、プラタナスの明日への活力になる事。
私がマゾオンナ(プラタナス)を堕とす事で、満足するのも同じ作業。
そして、私の明日への活力。
それゆえ、その関係への、私の執着。
だとすると、大変矛盾した言い方だが、
執着している関係を、より長く続けるには、
満足するほどに堕とす事と同時に、プラタナスの自己充足を満たさなければ、
プラタナスは、私の元からさっさと消えてしまう。
という事になる。
(事実、時々、消えて無くなるわよと脅かしたりもする。笑)
つまり、
堕とす事(それも徹底的に)、
自己充足してもらうこと。
この二つが、両方とも不可欠という事になる。
これの具体的方法は、実はよくわからない。
そもそも、堕とす事のモチベーションは、人の不幸を願う劣情であるし、
自己充足を与えるのは、それとは正反対の精神状態だ。
一般的方法がわかったら、多頭だろうがすぐに何でも出来そうだし。(馬鹿)
プラタナスと10数年も続いたのは、
相性と幸運と根気と遅い歩みの、偶然の組み合わせのような気もする。
一つだけ、幸運だった事は、
プラタナスの、四肢切断、厠蓄などのグロテスクな根っこ。
それゆえの、現実に努力してきた平常に対するバランスの取れた抑圧。(だからこそ、良い子症候群?として本人が苦しむのだが。)
そして、抑圧を外した時(=堕ちた時)の、ケダモノのような淫乱かつ明るくあけすけな解放ぶり。
どれをとっても、私の感性から外れていなかった。という事かもしれない。
スイッチオフを余儀なくされた懸案事項が、幸いにして早期に解決した今、
あらためて、プラタナスを徹底的に堕とし、その身体に、更なる見えない刺青を入れ、
明日への活力にしようと思う。
そして、プラタナスもそうであるように願う。
こんばんは。
深い感慨を持って拝読。
ここまでお書きになるの さぞ 大変だったことでしょう。
初めに拝読してからずいぶん経ってしまってのコメント ご容赦くだされ。
うまく纏まらないのにコメントしていいものやら ...
と思いつつ...
(御無礼があったなら消去してくだされ m(_ _)m )
個々人の物事の捉え方は 極めてパーソナルなもので、
個々人のlife history 全てをbackbone とする
個別でかなりはっきりしているもの (根幹に関わっているだけに そうそうコロッとは変わったりしない)
で、
「性」という字は
「りっしんべん」つまり心
心+生
まさに、アイデンティティそのものでもあるわけで。
心クンは身体クンと連動して、いつも「まんまでいたいよー」って思ってる。
そこいくと
マジョリティーの物差しは、統計学上から類推しておさまっているもの
よって、大体こんなあたり というもの
おまけに けっこう胡散臭かったりもする (ある日 コロッと変わったりも!)
ってことで
おんなじ語だからっていっても、その内包する意味合いは異なるよな。。。
おんなじ語ってとこに そのトリッキーさがあったりして。。。
などと、つらつら思う Sarah です :-)