(プラタナス)
SMスイッチを落とした犯人は、私です^^;
先日ある検査で、ちょっと健康上の不安を抱えてしまった。
もちろんまだ可能性の段階なのでなんともいえなかったのだけれど、最悪の場合は手術、その病気で命を落としている人も数多くあるという可能性。
臆病で心配性の私はすぐに詳しい検査をして、幸い結果は問題なしだったのだが、結果が出るまでの間はやはりよい気持ちではなかった。
もしかして・・・と思ったときに、私がいちばんつらかったのは、もしかしてもう二度とマロニエさんとSMできないんじゃないだろうか?と考えたこと。
死ぬかもしれないという心配よりも、ずっとそれは私を苦しめた。
もちろん「死」はまだもうひとつ先のことで、現実味が薄いからなのだろうが、
マロニエさんとのあの濃密な時間にどれほど私が執着しているのかを、改めて思い知らされた。
その先の人生の喜びの半分以上を失うような気がして、それを恐れてナーバスになっていた。
そういうときには、SMはできない。
身体を責められる、苦痛や屈辱を与えられるということは、弱った心ではできない。
いや、物理的には可能なのだけれど、それを楽しめないということ。
心と身体を追い詰めるギリギリの快感は、心身ともに健康で元気いっぱいのときでないと、味わえないものだから。
それはS側も同じなのだろう。
盛り上がっていた双方のスイッチが、いきなり落ちる。
でも、そういう私が弱った時には、マロニエさんは頻繁に会ってくれる。
会ってもSMするわけではないのに、できるだけ時間を作ってくれる。
今回も、ディズニーシーに連れて行ってもらったのと、それから検査日の前日にも事務所へ呼ばれた。
事務所で。
スイッチは落ちたとは言え、最近の私(たち?)はちょっとどうかしているので、完全にOFFにならない。なれない。
マロニエさんの顔を見ると、どうしても欲情が抑えきれない。
マロニエさんも同じなのだろうか?
激しいSM行為をするわけではないけれど、お互いに触れないでいることができない。
不安に塗れながら、それでも自分に欲情してどうしようもなくなっているオンナ。
マロニエさんは彼なりの仕方で、慰めてくれた。
「キスして」という私の願いを、一度たりとも拒まない。
私が請うたびに、何度でも与えてくれる。
いかせて欲しいと願えば、自分はすでに射精して終わっているのに、繰り返し私の要求に応えてくれる。
私は不安に塗れ、欲情に溺れ、恋情に身を焼かれて、
目の前のこの人を離したくないと、二人の身体をふたつに分けたくないと、
できるなら私をグチャグチャに壊してあなたの中に入れて欲しい、あなたも壊してあなたとひとつに混じり合ってしまいたいと、
狂おしく願った。
事務所の床とテーブルと椅子を水浸しにしながら、切なく逝き狂ったこの瞬間を、私は忘れられない。
こんな時にも欲情を抑えられず貪欲にこの人を求める我が身の業の深さに唖然となりながら。
壊れてしまったなあ、私。静かな諦念とともにあらためて思う。
だけれども、
事務所からの帰り道、私の気持ちは切り替えられていた。
大丈夫だ。私にはあの時間がある。だから何があっても耐えられる。という気になっている自分に驚く。
酷い行為をされて、私、慰められ元気になっている。
これが、マロニエさんの言う「明日への活力」なのだろうか?
だとしたらそれは、爽やかな言葉に似合わないたいそう醜悪な光景だけれど、
それでもその醜悪な現実は、私をしっかりと支えた。
健康に気をつけて規則正しい生活をして、体によい食べ物やサプリメントをとって、そういう生活をするよりも、
サッカーの試合や音楽など何でもいいから「ああ今この時なら死んでもいい」
と、そう思える瞬間をすこしでも多く味わえるほうが身体にいいのではないか?
と、村上龍がどこかに書いていた。
村上龍は特別好きではないけれど、この言葉は心に残った。
グロテスクでみっともなくて恥ずかしくて、反社会的とさえ言えるような行為であっても、人を救うこともある。
もちろんそれは、当事者が自分の気持ちに嘘をつかずに、どちらがどちらの犠牲にもならない関係であるという、条件付きではあるけれど。
でも、なんでもなくて良かったです(^_^)
お二人のここまでの関係って「すごい!」といつも感心してしまいます。
うちはどうも肉体的欲求から遠ざかってまして・・・・(^_^;)
まぁ、それも「よし」と思ってるのでいいんですけどね。
行為の種類なんでどうでもいいんですよ。根底にお互い通じてる気持ちがあれば、どんな事だって二人の間で「救い」になりえるんだと思います。