(マロニエ)
どうしたらそんなに長く続けられるのかなどと綴られた、読者さんからのメールが来た。(汗)
まあ・・・運と云っておくのが当らずとも遠からずだけれども、
自分が生きて行く上で、M女性が必要不可欠の存在であるなら、これはすべからく、「運」と「能力」と「努力」を賭けるに値するって事でしょう。そう思うのか、片手間にM女性が引っかかったらめっけもの、程度に位置づけなのかって訳です。少なくとも片手間では、こうも続かないでしょうねえ。冷たい言い方ですが^^;
さて、個別な私的具体例は勘弁していただくとして、運と能力と努力を傾ける方向って、とても重要だと思います。
SMは相手在って初めて出来るもの。つまり相手のモチベーションや動機付けに左右されます。
SMであれ、もっと対象を拡げて、なんであれ、一般的に人(相手)を動かす、続ける、には大まかに三つの要素があると思います。
1.金
2.力(権力・地位・立場など)
3.相手に、「したい」と思わせる事。積極的に関わりたいと思わせる事。つまり一言で言えば興味ですね。興味には、上も下もなく、お互い対等。もし、差があるとしたら、興味の強さの強弱でしょう。それが発展すれば、当然、恋愛感情ってのもありますね。
1.はそれこそ、極端な例では、札束で人の頬っぺたひっ叩くって訳で、金の切れ目が縁の切れ目って事でしょう。こっちの世界では「愛人契約」の「報酬」の類ですかね。
2.は、相手の「何か」を人質にとって、これを守りたければ、俺の言うこと聞け!とまあ脅かす事でしょう。脅しまでいってしまうと論外ですが、力関係の程度問題として、圧をかけることはSMの世界ではよくあることですね。
相手の「何か」、SMの場合なら例えば「心の弱み」を人質にして、俺の言うことを聞け!そうすれば人質もお前も守ってやる。って関係がおおいにありそうです。
3.は、金も要りません。人質なんかも関係ない(=対等)けれど、とにかく参加したいんです。したい、されたい、やりたい、やらせてくださいって感じ。
もちろん、現実の関係では、1〜3の混合でしょう。
SMでも直接経費(ホテル代など)は男もちって事が多いでしょうし、相手の交通費や飯代などもそれぞれの経済状況でおおいに関係しますよね。SMする(相手を選ぶ)のにお金の事が一切無関係だとは思いません。
また、S側がその立場を利用してMに圧をかけ、力技に出る事だっていっぱいあります。
また、相手を守る事で従わせ、それで、それぞれ双方がとても満足しているって事もあります。
一概にどれがいいか、それはそれぞれが決めればいいことで、でも、何処に自分の軸足を置くかで、関係は大いに違ってきますよね。
SMに限らず相手の在ることで、その相手が自分にとって最大限のパーフォーマンスをしうるのは、
自分が何処に軸足を置いた時でしょう?
また、相手のモチベーションがもっとも持続するのは?
と、考えるなら、おのずと答えは導けるのではないかと思います。
その私なりの考え(解答)に基づき、私が出来る範囲でしたい事をしてきたまで。
え?それじゃ、SMじゃないって?
いえいえ、M側の「最大限のパーフォマンスを引出し、それを最大限長く持続する」、それが長く続ける事に繋がる、ということに力点を置いたら、そうなると言うだけの話です。
あとは、当事者同士の事ではないでしょうか。
(って^^;ちっとも親身になって回答してない気もしますが・・・・私には無理です。すみません。)
この際、もう一つ付け加えるなら、
SMはこうあるべきだ、みたいな事を論じたりするのは好みませんし、それこそ興味もありませんが、SM世界独特の「言葉」には気をつけたほうがいいと思っています。
使っちゃいけないということではなく、その意味すること、背景を良く考えたほうがいいという事です。
特に、読み取る側が。あるいは、Sの側が。
たとえば「奴隷」と言う言葉がありますが、歴史的な人さらい・人身売買対象でさえあったの奴隷と、SMの「奴隷」は決定的に違いますよね?
「奴隷」になった本人の自由意志があったのが、SM界の「奴隷」であり、歴史的定義の奴隷なわけはなく、その視点で言えば、SM界の「奴隷」は、奴隷であるはずはない。SM界の「奴隷」は、なる自由も、止める自由もあります。
だから、いわば、業界用語みたいなものですね。あるいは比喩。
強制や人格無視や支配、束縛など、奴隷にまつわる暗い事実に、アブノーマルな性癖を重ね合わせただけのことです。
だから、Mの側から発せられる「奴隷」という言葉は、自由意志に基づくものです。
が、S側がそれを受け止める時、あるいは、Sの側から発する「奴隷」という言葉には、ともすると、自由意志に基づく「奴隷」ではなく、歴史的な奴隷の意味に拡大解釈しがちです。だって、サディスティックな根源的な欲望は、まさしく、その歴史的な意味の奴隷を欲しているわけですから。
その点を自覚していないと、例の何とか王子のように、当たり前のように奴隷を求める(ここ100年、世界中で奴隷を所有するのは犯罪です)おバカが現われてしまいます。それに、遅かれ早かれ、M側の自由意志に基づくという点からズレが生じて、M女性が見限って、自分の目の前から去ってしまうと思います。
こういうふうに、このSM世界には、自由意志など無い過酷な時代の言葉が、骨董品のように生き残ってますよね。でもそれは、M側の自由意志に基づいて発せられる言葉であるから、もはや、本来の意味はなく、単に性癖を掻きたてるきっかけ、もっといえば、SとMの二人の共同幻想を見るための符牒のようなものでしかないと、私は思います。
いえ、二人の合意の下、共同幻想を見ることは否定していません。私達も見ていますから。たとえば
厠畜という言葉で象徴するものを。
ですから、奴隷や主従や支配など、SM世界で生き残っている言葉は、とても誤解を生みやすい言葉だと思います。
当事者の符牒にしかすぎない事を忘れてしまうと、それらが、現在の人間関係で当たり前に通用すると思い込んでしまう、とんでもない世界に迷い込でしまいそうです。
当事者、特に受身であるM側においては、それはとても不幸な事態ではないのでしょうか。
どんな鬼畜な言葉を使っていたとしても、人対人の関係であり、当事者の自由意志の元に行なわれる行為であると思います。
例えば、ここ最近の私達の行為であるニボシさんを加えることですが、あれはニボシさんが「出汁」である事が自分の一番の快楽であるという自由意志があって出来た事です。自由意志とは、やる自由も止める自由も、彼女にはあるという事です。
だからこそ、私達は、ここではニボシと呼び捨て、出汁扱いが出来るわけです。
それを短絡的に、SM界には出汁扱いも有りなんだと、当然のように思うのは、少し違うように思います。
以上の事は、
自覚的に、相手が嫌な事をしたい、とか、自分の行為を受け入れられない事が快感であるとか、
自覚的に、自分が嫌な事を強制的にされたい、理不尽な関係でありたいと思う方について言っている訳ではありませんから、その点理解ください。
そう、このエントリーは、長く続けるには?というメールに対しての私の回答です。
SMやってない私が発言するのも気が引けるんですけど。(^_^;)
ある育成系のSさんから聞いた話なんですけど、Мさんを育成する(その育成っていうのもいろいろ種類があるみたいなんですけど)のが好きなSさんは、調教がある程度の段階まで進むと自分の調教へのテンションが下がるのを感じる時期があるって言っていました。調教へのテンションは下がるんだけど、相手への愛着は増すんですって。
その気持ち、なんとなくわかりますよね。
芸を仕込んだりしてペットがまぁ満足なところまで育っちゃうと、訓練する必要もなくなるんだけど、可愛くて仕方ない…っていう感覚ですかね。
でも、育成系の人っていうのは育てていく過程が好きなので、完成品だけじゃ満足できなくなって、それでまた新しい人を探したりするんですって。前の人と切れなければ「多頭」ってことになるんだと思うんですけど。
この人の場合は、「自分の理想の奴隷に育てあげる」っていうことが目的だったので、それをクリアしちゃって満足しちゃったんでしょうね。だけど、これをクリアしたら次はこれ。今度はこっちって、まだまだいろんなことをしてみたいっていう興味の幅っていうか、広がりみたいなものを常に持てて、しかも相手もその興味についてくるっていう展開になれば、道はどんどん開けていくんじゃないかと思います。
え?
うちですか?
うちは、先の展開よりも、現状でなかなか目標を達成できなくて、満足感を相手(Sさん)に与えないっていう手法を取っていますので(笑)、Sさんのプライドで「中途半端では終われない」って思わせて、今のところ続いているんじゃないかと。(^_^;)