(マロニエ)
男と女の間には深くて暗い河があるというが、今回はそのちょっと微妙なテーマ。
ただしそれを一般化しての問題提起でもなく、否定でもなく、肯定でもなく、自己観察結果といったところ。
腹が減るのに個別的個人的理由はない。食べなければ生存できないから、本能として、腹が減る。
腹が減ることそのものを否定されたら、人は存在するなということ。
空腹を満たすことは、社会的ルールやマナーを守れば、容認される。ばかりか、それをエレガントに、食材や料理などの文化的背景を包括して成したら、場合によったら賞賛の対象でもある。
逆に、ルール違反をして腹を満たせば、それは罪にもなる。
これをオス(私)の性に当てはめると、オス(私)としては、自身の事をとても自然に説明できる。
もちろん、受け手がどう捉えるかは別にして。
男は割ととどんな女性にも見境なく欲情すると言われるけれど、まさしくそのとおり。
えげつない言葉で言えば、柔らかな肉と穴さえあれば一義的にはOKだ。(苦笑)
どうしてそうなの?とプラタナスにも問われるけれど、なかなか合理的な回答が出来ない。
どうして腹が減るのかと問われるのとよく似た感覚である。
とても美味いかどうかは置いておいて、空腹を回避するため腹を満たしたいという事に似て、
欲情して精を放ちたいというベースが常にある。
もちろん、実際の行動は、現実のあらゆる条件や、自分がいる環境に左右され、
それが個人の嗜好にもなって、間口が狭まるのだろうけれど、
もっともっと根源的な感覚においての話である。
その根源的な感覚の部分で否定されると、もう、どうしようもない。
すごすごと退場!である。(笑)
合理的な説明が出来ない、つまり、誰彼となく精を放ちたいという欲が生まれてしまう事、その一点は、自分ではどうにも出来ないのだから、退場しかない。
なのでこれ以降は、退場しないでいいよと言ってくれる人の中での話題である。
さて、私のケースが一般的かどうかはよくわからないが、
性に目覚めたころより、その欲望との闘いである。
なにしろ、特に10代では、女性の(=誰でもよい)ミニスカ脚を見ただけで立つし、その太腿の奥にある暗闇から目は離せないし、胸のふくらみやヒップのカーブには涎を垂らす。
本能に囚われるとはこの事を云うのだろう。心が穏やかになる時間はほんのチョット、自家発で放出した直後の数時間だけだ。
オスが「大人の男」になるということは、この空腹を自らの力でコントロール出来ることも大きな要素である。
10代の頃にはなおさら、その欲望を満たすことは出来ない。幸運なことに「彼女」が出来て、早熟なSEXをしたところで、それはそれ。かなりの満足はあるが、それでもいちいち通りすがり女性に欲情し、しかし、だけどいちいち欲情を満たすことなどあり得ない。欲そのものの量がでかいのだ。
つまり言い換えれば、
自分の感じる欲情は、99.99%くらいの確率で、満たされることはない。という敗北の連続を、自身が受け入れるということである。それが大人になるということだ。
すべからく、男はいずれそうならなくてはならないと教育されるし、
社会のルールも圧もそうなのだから、受け入れることが当たり前のことではあるのだけれど、
その欲情に翻弄される心情に対して、ある種のシンパシーを感じるのは否めない。
某大学教授が、その地位と引き換えに、女性のスカートの奥を覗いた事件は、被害にあった女性の不快感・恐怖感や、なんてバカな事をという事に思いをはせる一面、欲望のコントロールに失敗しちゃったのね、気持ちはわからないではないよ、という感想を持つ(つまり、欲望そのものは否定していない)私である。
もっとも、この感想だって、言うには時と場合と人を選ぶけれど。
男は欲情するにあたって、一義的には相手の固有名詞は不要なのだ。(しつこいようだが、その次のレベルでは相手の個性に大いに左右されるのは言うまでもなく。)
ただ、こういったベースに流れるどうにもならない欲望は、それを持ち合わせてない人間(多くの女性と推察するが)からは、理解に苦しむのだろうと想像は出来る。
それによって起こる悲喜劇やすれ違いも、身近に見聞きする。
ただ、女性が自らの身を守るというリスク管理の観点からは、肯定する必然はないが、知っておいて損はないと思うのだけれど。
腹をすかして飢えた人間の目の前に、「無自覚」に、施すつもりもレストランを開くつもりもなく、おいしそうなご馳走を並べてしまう事がないように。
まあ、事が複雑になるのは、飢えた人間は、施すつもりも売るつもりもないものでもあっても、それでもご馳走が目の前にあったほうがいいと思うのと、
自覚しているならともかく、「無自覚」だとそれによって引き起こるかもしれない事態の対応策が出来てないって事なんだろうね。
少し話がずれた。あまり具体的にすると、いろいろ差しさわりがありそうなので抽象的にもしてるし。
さて、
そういった本能ベースの上に、かろうじて社会生活できるくらいの節度をまとう事が出来た男。
いろいろな女性を前にして、やっぱり揺れる揺れる。本能と節度のせめぎあい。(笑)
「据え膳食わぬは男の恥」と昔から言われるけれど、よく考えると色んな解釈が出来る。
私という個性(全人格的)に対して据え膳してくれたなら、これは真面目に応えなければダメだろう。相手の真剣さには、それと同じものをもって対応しなければ。結果、その場面では食わないという選択肢もあると思う。それは別に恥でもなんでもないし。
少なからぬ好意と素直さをもって、互いの欲望をひと時満たそうというのであれば、言葉どおり。
据え膳は喜んで食う。(笑)
だけれども、オスの部分を見透かされて、男だったらとりあえずヤレるでしょ的なアプローチをされた時には反発するなあ。せっかく苦労してまとってきた節度に光を当ててくれないのって(笑)
まっ、据え膳の中身で決めさせてもらうわ。(おいおい)
そんなこといいつつ、据え膳の機会があったほうがいいのか、なくてもいいのかと言われれば、
断然あったほうがいい。
いや、空腹を満たせるものは、私に食う権利がなくても、いつでも目の前にあったほうがいい。(笑)
人間、つくづく勝手なものである。
ああ、私にとっては、この「食う」という言葉はノーマルなSEXを指すのではないな。
サディステックな心が満たされる変態行為である。(笑)
マロニエさんのお話を読んでいて、自分は男性の心を持ったまま女性のカラダに生まれ変わったのではなかろうか??と疑いたくなることも(^^;「イェーイ♪食べ放題だぜ☆」....と思っていた若かりし頃をついつい思い出してしまいますので(^^;
どうやら私の辞書には「貞淑」や「貞操観念」という文字は載っていないようです〜(^^;