(マロニエ)
性に目覚め、自分の中にはっきりとSM嗜好の姿が浮かび上がった思春期に、SM雑誌を読み漁った。まだ文字情報が主体の頃である。
雑誌の団鬼六氏の小説のクライマックスは、たいてい浣腸場面だった記憶がある。今思うと、テーマは「羞恥」だったのではないか。
日常では絶対見せない排泄姿、そこに至る恐怖と期待。そして、破局の時の羞恥。そこまで見せてしまったMが、堕ちていく予感。
10代の私は、当然、実体験はまったく出来ず(笑)、その文字の世界を貪った。そして、浣腸への強烈な憧れが残った。
しかし、長じて、SMも実体験し、始めて浣腸をする機会に恵まれて、文字と現実との違いを強烈に思い知らされた。女性が小説のように反応はしない(笑)羞恥はしているのだが、羞恥心で消え入りそうな淑やかな様子などは感じ取れなかった。あれは団氏のファンタジーである。当然である。
しかも、事が落ち着いた後でも、「おなかが痛い」「何時まで経っても便意が消えない」など、「羞恥」目的という視線に立てば、双方が冷めるようなやり取りが続いた。完全に戦意喪失。そうなると、排泄物や匂いなどは、逃れたいマイナスにしか働かない。
今はそうなっても違う視点に立てるので、冷めはしない。だが、当時はそうではなかった。自分の憧れを型に嵌めすぎていたのだろう。
どうも私は濃いらしい。羞恥というあいまいデリケートな感覚より、責めとか痛みとかの方向に興味が向いた。
そうやって、自分のS嗜好を一段とエスカレートさせた後に、浣腸をした。その時、これは羞恥ではなく責めだと気がついた。そう、内臓に対する責めである。浣腸器は中世の拷問器でもあるように。
そういう視点に立てば、「おなかが痛い」「便意が去らない」等は媚薬となる。また、内臓の快感は、ひとたびそれを快感と受け取れば、皮膚粘膜の快感とは比べ物にならない。子宮を掴むフィスト、腸を刺激する浣腸。内臓刺激。
プラタナスは浣腸をすると、感覚・快感が鋭くなる。羞恥プレイなどと悠長に放置して、じっと見入るなんてもったいない。(笑)
責めであるから、量も必要とする。時系列の記録でプラタナスが呟いたように、イチジク1個2個では不満。ガラス製の浣腸器で何本も入れる。

同時に、痛みやおまんこや、他の刺激を重ねる。そうすると、1+1=2でなく、5くらいになる。
そうやって、排泄の破局に向っていく最中に、とてつもない快感を味わせ、その姿を見てこちらもスパークしていると、破局は「終わり」や「頂上」ではなくなる。
そう、これが私達の「始まり」、スカトロである。
(追記)
数年前、明治大学内の刑罰博物館?で中世の拷問展を開催していた折、金属製の浣腸器を見た。
圧巻の
「鉄の処女」や、ギロチン、磔台などの展示を、プラタナスと連れ立って何度も見たものだ。プラタナスの吐息とともに。
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