(プラタナス)
別に、初めて聞く話じゃない。
誰かが言っていたかもしれないし、
本でも読んだ気がする。
それでも、自分の身体、自分の知覚を使って実感するのは、
やはり、とても不思議なことです。
痛みと言うのは、快感と対極にあるものではない。
「苦痛」と「快感」とは、同じ地平、同一線上にあるのだ、ということを。
もちろん両者を隔てるバーは、はっきり存在するのだけれど。
なんとなく、ずっと思っていた。
「痛い」は負で、「気持ちいい」は正。
「苦痛」は避けるべきもの、「快感」は追い求めるもの、と。
でも、ここのところの私は、もう違ってきている。
快感と地続きの苦痛を、味わわされることによって。
以前も、苦痛を快感に思ってはいた。
痛みの果てに「浮遊」する感覚。
脳内麻薬が出て、苦痛を快感に変えていく作業。
でも、それは、「苦痛」という長い道を通り抜けて初めてたどり着ける、特別な桃源郷だった。
このところ、マロニエさんは鞭の時に多少趣向を変えている。
何度かここでも書いたけど、強い一撃の間に、少し弱い連打を加えるやりかた。
私がこれによって、また新しい境地にいけるかもしれない、ということを狙って。
少し弱い力で連打される。
今まで、一撃一撃が飛び上がるくらい痛いのに比べると、我慢ができやすい強さで。
もう、さんざん打たれてぼんやりしている頭には、「それ」はすぐには理解できない。
連打され続けて、皮膚や肉が限界になり、痛みとして感知され我に返ったときに、やっと気づく。
「あれ?私、今、ずっと気持ちいいと思っていた?」って。
気持ちいいという強さでは決してない、お尻への鞭の連打。
でも、そのときは、私はそれを、確かに快感に受け取っていたような気がする。
たとえば、マロニエさまにおまんこされているとき、気持ちよさのあまり、
「ずっとずっと、永遠にこれをし続けて欲しい」と、よく思う。
それと同じような願望を、今さっきまでの鞭の連打に対して持っていたことに気づいて、愕然とする。
苦痛のすぐ隣の快感。
もちろん、間にバーは存在する。
マロニエさんは、狡猾にそのバーの位置を、少しづつ少しづつ変えていくつもりなのだろう。
まるで、悪魔のリンボーダンス。
徐々にバーを下げられているうちに、いつの間にかとんでもない角度まで、身体を曲げられているような。
これは、まずいかもしれないな。
痛みと快感に翻弄されているうちに、気がつけば、かなりの苦痛に対しても快感を覚える、
変態な身体にされてしまいそうで、怖い。
もちろん、限界はあるけれど。
長い時間をかけて、すこしづつゆっくりと、でも確実に自分の目的に近づけていく作業は、
マロニエさんの十八番だからなあ^^;
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